本年度は、県内小・中学校から11,133篇もの作品が寄せられ、その中から平塚市の3作品が入賞しました。おめでとうございます。
※ なお、3作品のうち1作品は都合により掲載を省略いたしました。
*優秀賞*(神奈川県知事賞)
『心のふれあい』 平塚ろう学校中学部3年 伊牟田 愛希さん
私はよく買い物でお店にいきます。お店に行ってたとえば、「この服の色違いありますか?」と店員さんに聞こうとしても、相手は聴者なので、話しかけづらかったりと、どこかにさみしい気持ちを抱いていました。
しかしある日、母と一緒にデパートの地下に行き、いろいろなお店を見て回っていたときのことです。試食できるコーナーがあるお店があったので、そこで母と試食し、「おいしいね」と手話を使って母に話しかけたら、その時お店のお兄ちゃんが「おいしいか?」と手話で聞いてきました。私はその手話にビックリしました。なぜなら、お兄ちゃんは聴者なのに、手話で語りかけてきてくれたからです。
お兄ちゃんに、「おいしいです!」と手話で答えたら、「良かった。よかったらこれも食べてみて」と、また手話で話しかけてくれました。私はそのお兄ちゃんが、手話を使ってコミュニケーションを取ってくれたことに感動しました。本当は二千百円の干し帆立を割り引き、千円にサービスしてくれました。お母さんとニコニコしながら買いました。
とても若いお兄ちゃんなのに、手話サークルに通って勉強しているのだと聞き、とても嬉しかったことを覚えています。
それからもう一つ。うれしかった出来事があります。それは、私と同じく耳が聞こえない友達と一緒に、お昼ご飯を食べにレストランに入ったときのことです。注文しょうと思い、呼び鈴を押したらウエイトレスさんが来て、注文したい料理を伝えようとしたその時、ウエイトレスさんが、「ご注文は何になさいますか?」と手話で尋ねてきたのです。二人で思わずビックリして、「手話できるんですか?」と聞いてみました。そうしたら、「できます。昔、手話サークルに通っていましたので」と答えてくれました。私はそれを聞いてホッとした気持ちになり、手話で注文できました。これまでにない経験でした。
そのウエイトレスさんは、大学生でお若い方ですが、高校生の時、街で見かけたろう者が手話で話していることに影響を受けて、手話サークルに通い始めたんです。と話してくれました。本当にうれしかったです。
これらの出来事のように、他のお店でも聴者に対してだけではなく、幅広くろう者のことも知ってほしいです。そういう社会になれば、ろう者である私達は、もっと安心して買い物にも行かれるようになるでしょう。
実際私の身近にいる人々も、「ろう者」という言葉を知っている人が少ないので、ろう者のためにも「ろう者」をわかってもらえたらいいなと思っています。
ろう者である私達にも出来ることはたくさんあります。それはたとえば、目の見えない人を誘導したり、車いすの人が困っていたら支えたり、お年寄りの荷物を持ってさしあげたり、電車の中で席をゆずったり・・・。困っている人を見かけたら、誰でもいいから手を差し伸べれば、その時縁のあった人同士、お互いにとって、それはきっと豊かな経験になるはずです。それはきっと、何かにつながっていくはずです。
同じ地球上の同じ国、同じ地域に住んでいるだからこそ手を取り合って、支え合って生きたい。わたしには関係ない、ではなく、「関係ある」という姿勢が、私達には必要ではないのでしょうか。
私の友達に「私はろう者だよ」と話してみました。しかし、その人には「ろう者って何?」と聞かれ、私はびっくりしました。
たくさんの人が生活していますが、ろう者を知っている人は少ないのです。又、手話を知っている人はもっと少ないのです。私達ろう者は、これからもっとみなさんに私達のことを知っててほしいと思っています。私達は手を取り合って生きたいのです。近い将来、私は、健聴者とろう者のかけはしになり、差別のない世界にしていきたいです。
*優秀賞* (神奈川新聞社長賞)
『春子おばさん』 浜岳中学校2年 飯尾 美咲希さん
私の親戚に目の不自由なおばさんがいます。私の祖母の妹で母の叔母にあたる人です。私は春子おばさんと呼んでいます。
おばさんの家に遊びに行くと、「みさきちゃん元気?」と声をかけてくれて、お茶やおかしを出してくれます。その姿がまったく自然なので、私は春子おばさんが目が悪いということを忘れてしまうほどです。
それで母に「春子おばさんてどれ位見えるの?」と聞いてみたら、母は「私も一度聞いてみたいことがあるのよ、そしたらね、たとえば赤い服の人が近くにいたらぼんやり赤がうつる位だって。」
それを聞いてびっくりしました。おばさんは生まれた時から目が悪く、でも結婚し子供を二人生み、今は孫が二人います。家事も子育ても健常者と同じようにこなし、お仕事も長く続けてきたそうです。
2年前に病気になり仕事を辞めたのをきっかけに、盲人の編み物サークルで編み物を習いはじめたそうです。盲人の方は一目一目手で確認しながら目の見える人の何倍も時間をかけて編みます。目を落としたり、間違えたりした時は私の母が直します。最初はマフラー、次にくつ下、今は二枚目のセーターを編んでいます。おばさんは、「私達は目が見えないからね、長い時間編み物をしても目が疲れないよ。」と明るく笑って言っています。
夏休みに入り、私は友達とスイカ割りをしました。私の番になり、目隠しをしてみるとその瞬間、真っ黒の世界になってしまいました。周りの人が「もっと右、まっすぐ、まっすぐ・・・。」と言ってくれますが、怖くてなかなか足が前に進みません。
タオルを外した時は「ほっ」としました。見えるってこんなに安心なんだ、うれしいんだって思いました。その時、ふと春子おばさんの事を思い出しました。おばさんは、どれほど不自由で不安な生活を送ってきたんだろう。たとえばそれが一瞬や数時間や一月でなく、生まれてから来る日も来る日も続くなんて・・・・。
おばさんは、ある時こんなことを言っていました。「この前信号待ちしていたんだけど、信号が変わっても分からないでしょう。だから、渡れないで立っていたら、前を通る車の運転手の人が『おばちゃん青だよ。渡って、渡って。』って言ってくれたのよ。声の感じから若い人だと思うんだけど、困っているとそうやって親切にしてくれる人が与えられるのよ。私は目が悪いから困ってしまうことがたくさんあるけれど、それは普通のこと。気にかけて、助けてくれる人がいたら、ありがたい、ありがたいと思うようにしているのよ。」
私はこの言葉の『重み』がどれほどなのか、どれほどの試練の中を通って出てきた言葉なのかを考えました。
おばさんごめんね。きっと私はおばさんの苦しみの百分の一も分かりません。ただ私の悩みがとてもちっぽけなものに思えてきました。なぜって私の悩みは「健康な体」が前提にあっての悩みだからです。これから先、私が生きていて、悩んで行き詰まり、出口が見えないようなことに出会った時、くじけそうになったら春子おばさんの事を思い出そうと思います。試練を乗り越えることができたらその時は、弱さをもってなお強く、明るく生きている春子おばさんの“すごさ”が少しは分かるのかな、と思います。
だから私が成長するまで、春子おばさん、もうちょっと・・・いや、かなり時間がかかると思うけど、まっていてね。
いつか私もありのままの自分を受け入れ、誇らず、怒らず、蔑まず、また人と比べるのではなく、自分に与えられたものを感謝し、喜び、楽しむ人になりたいです。
それまで春子おばさんには、一日でも元気で、長生きをして待っていて欲しいと思います。